ぼくのりりっくのぼうよみの辞職

ふと立ち寄ったバーで、

 

どこか懐かしさを覚える
背中を見た

 

「もしかして、ぼくのりりっくの
ぼうよみさんじゃないですか?」

 

私の問いかけに、少し白髪の
混じった髪の毛が揺れる。


「40年も前の話ですよ」


そう言って、その男性は
隣の椅子をそっとひいてくれた

 

私は緊張しながらその椅子に座り、

マスターに

「同じものを」と伝えた

 

私の隣に、あのぼくりりさんが

座っている。心の奥で、青春時代に

燃えていた炎に近い灯りがともる。

 

ぼくのりりっくのぼうよみ

"辞職"という名目で活動を辞めたのは、

2019年1月のことだった

 

Twitterで辞職の2文字を見つけた時、

僕は何がなんだかわからなかった

 

圧倒的速さで売れ、若くして名実ともに

スターとなった彼は、今後も日本を代表する

アーティストとして活躍していくんだろうな

と思っていた。

 

これから死ぬまでぼくりりさんが

作る新しい音楽を、聴き続けることができる

と思い込んでいた。

 

悲劇は、いつだって、想像しうる範囲の

外側からなんの前触れもなくやってくる。

 

もしもぼくりりさんに会えたら、と

若い頃の自分は勝手に想像し、言って

やろうと思っていたことをノートにまと

めたりしてた。

 

ただ、実際に本人を目の前にすると、

言葉が出ない。

あの時言おうと思っていたことを

まとめたノート、どこにやったっけな

 

あ、年末の大掃除で母ちゃんが捨てたんだ

あの時は母ちゃんに大きな声を出しちゃった

けど、きっと取ってても何も変わらなかった

ろうな、ありがとな母ちゃん

 

席に着いてから、20分以上経っているが、

お互い何も話さない。

ただ、この話さない時間のなかで、たくさん

語り合っている気がする。

言葉に出さなくても、通じ合っているような、

こんな感覚になれることがあるんだ、

凄いな

 

と、僕はなんだか笑ってしまった

 

すると隣に座っていたぼくりりさんが、

すっと立ち上がり、出口の方へ歩いて

行った

 

「どちらに行かれるんですか?」

 

咄嗟に聞いてしまった

 

少し驚いたような顔で、

僕を見たぼくりりさんは、

ゆっくりと口を開き、

 

「いや、20分以上一言も話さないのは、

結構しんどいし、急に笑い出されるのも

怖いし、別の場所で飲み直します、

マスター、またくるね、」

 

そう言って、ぼくりりさんは

お店から姿を消した。

 

僕は、テーブルに置かれたカルーアミルク

一口で飲み干し、

「あれ、なんかしょっぱいな、、」

と呟きながら、お会計を済ませて、

お店を出た